「人の為」で生きてると自分見失って苦しくなるから、今すぐやめようね!という話です。
この記事の内容は
・人の役に立たなきゃ!と焦るのは命の危険!
他人中心じゃなく、自分を中心持ってくるように生きよう!
・エックハルト・トールの「今しかない」に涙した話。
となっております。
記事内で紹介するリンク
この記事を書いた経緯
このブログは仕事で苦しんでいる人に
向けて書いているんですが、
アクセスを見てると、
本当に辛いと思っている人が
沢山いるのだな~と感じています。
私もこんなブログをやっているので
もちろん相当辛い思いはしてきたと
感じていはいますが、
以前に比べれば大分軽くなったかな?
と思います。
実は以前、10年程前かもしれませんが、
「辛い辛い辛い辛い・・・」
と毎日思っていた事があったのですが、
ある瞬間から一気に楽になってしまったんです。
その時の経験が助けになるかと思い、
今回綴らせて頂く次第です。
人の役に立ちたい!に縛られるのは危険!
私は自分で言うのもなんですが、
「優しい」方なんですね(^-^;
それは幼少の頃からです。
自然に「人の役に立ちたい」
と思うようになりました。
そう思うことによって、
人に気が使えたり、
何かをしてあげたりが
できたので、それ自体は
良かったと思っています。
しかし、社会人になると、
どうにもうまく気持ちが
回らなくなっていきました。
何が主な原因かは今も
よく分からないのですが、
もしかしたらいろんな価値観を
知ったからからもしれません。
あと、
「人の為に、人の為に」と
ずっと考えていたら、
なんだかすごく苦しくなってきたんです。
人の為に何かをして、
じゃあ自分はこんなに
苦しんでいいの?
それが自分の望みなのか?
と思うようになりました。
人の事ばかり考えて、与えるばかりだと、
自分のエネルギーは減っていく一方で、
呼吸が苦しくなってしまいました。
あぁ、
このままだときっと死ぬな~
そう思いました。
しかし、何をどうしたらいいのか
さっぱり分からず、とりあえず
「人の為に」何かをするのをやめました。
そして、それまでの人生を
振り返ってみたんです。
私が「人の為」「人の役に立ちたい」
と思ったのは、性格が「優しい」
というのもあったでしょうが、
実はもう1つあったんじゃないか、
という事に気づいたんです。
それは
「自分に存在価値を見いだせない」
という事です。
私は幼少の頃、気管支ぜんそくを
患っていて、一旦風邪をひけば
2週間学校を休み、天気が悪ければ
体を壊し、何度も何度も病院に
通っていました。
中学の頃まで続きました。
親には相当迷惑をかけたと思います。
状況からすれば、
私は「家族の負担」であったのです。
両親はありがたいことに
そんな素振りは一切見せませんでしたが、
私はそう感じてしまいました。
親に迷惑かけるは、
かといって、病気はなんとも
できないはで、本当に自分は
なんて邪魔な存在なんだ!!
なんでこんなに弱い体なんだ!
なんで自分はこんなに
なんにもできないんだ!
と思っていました。
約15年かけて
自分の「無価値感」を育て、
その反動で、「人の役に立ちたい」
と思うようになったのです。
人の役に立てれば、
自分は無価値ではない。
そう捉える事ができるからです。
人生を振り返った事で、
おかしな理由から「人の為に」が
出ていた事に気づきました。
自分の中の「人の為」が
歪んだ理由であった為、
「自分の為」として
捉えるようにしたのです。
「自己中心」いわゆる「自己中」は
当時とても悪いイメージでしたが、
苦しさから少しでも楽になりたいと、
「自己中」で経験を
まとめていくようにしました。
人に喜んでもらうのって
単純に嬉しいですよね?ヽ(・∀・)ノ
だから「人の為に」と思って
行動をするのではなく、
「自分が喜びたい」から行動する。
というように変えて行きました。
そして、その経過で
相手を喜ばす事ができ、
人が喜ぶことができる自分は
すごい!価値があるのだ!!
人を喜ばす=自分すごい!
と思うようにしていきました。
そしたら、信じられないくらいに
気持ちが楽になったのです。
簡単な図で説明すると、
以下のようになります。
行動基準の図>
自分が嬉しい事をしよう!
↓
人に喜んでもらえたら嬉しい!
↓
人が喜ぶことをしよう!
↓
人が喜ぶ何かをする。
↓
人を喜ばす事ができる自分はすごい!
価値がある!求められる存在だ!
嬉しい!
↓
もっと自分が喜ぶ事をしよう!
etc...
「人が喜ぶから嬉しい!」
じゃなくて、
「自分が嬉しいと思う事を
するから嬉しい!」
自分>他人
こんな感じです(^O^)
「人の為」ではなく
「自分の為」という考えが
自分を楽にさせてくれてました。
あなたの「人の為」
「人の役に立ちたい」という気持ちは、
歪んだ状況から生まれたものでは
ないでしょうか?
もしそんな気がするなら
「自分の為」「自己中」で生きることを
強くおすすめします。
だって自分の人生なのだから!!
ヽ(*´∀`)ノ
エックハルト・トールに出会い、涙した話。
出典:ウィキペディア
エックハルト・トールさんは、
カナダ在住の精神世界分野の作家です。
正直いつどのタイミングで出会ったかは
覚えていません(^-^;
多分10年くらい前だとは思うのですが、
その頃とにかく生きるのが辛かったんです。
仕事・友人・恋愛・家族関係など、
どうにも思うように事が進まない。
自分なんて何もできないんだ・・・
できるのは部屋の掃除くらいだな・・・
なんて,毎日思っていました。
満たされない過去と
重くて暗い不安な未来に
押しつぶされそうでした。
「信じるものは救われる」なんて、
宗教の言葉がありますが、
宗教に入ったら少しは気持ちが
楽になるかな?と思い、
宗教関連の本も読みあさっていました。
そんな中、今ほど有名ではなかった
Youtubeで、「生き方」とか「夢」とか
「未来」とか、そんなキーワードで
検索をしていた時に、
エックハルト・トールさんの
映像を見つけました。
さきほど検索してみたら
その時見たであろう映像を
見つけることができなかったので、
その時受け取った解釈だけ書くと、
「神なんていない。信じたって何も起こらない。
存在するのは自分で、あるのは「今」だけ。
過去に行ったとしても「今」しかない。
未来に行ったとしても、「今」しかない。
私達は「今」ここにいる。
過去も未来もない。
「今」の中にすべてがある。
「今」すべての事をする事が可能である。
「過去」や「未来」に
「自分」を縛り付けているのは「自分」だ。」
こんな内容でした。
その時の自分の思考と、
エックハルト・トールさんの言葉と
ごちゃごちゃになっているかもしれません。
多分なってます、すみません(^-^;
当時の私は、過去と未来に
完全に縛られていましたので、
「今」しかない。「今」すべての事ができる
なんて言われて、信じられないほど衝撃で、
「だよね、そうだよね!」と、
積もり積もった気持ちが一気に崩れて
泣いてしまいました。
それまでずっと違和感があったんです。
「神を信じれば救われる?
そんなもんいるわけない。
もし神がいたとして、
信じてる人は沢山いるのに
救われてないじゃないか。」と。
「今」にすべてがあって、
「今」すべてができる。
いるのは「神」ではなく
「私達」だ。(※ニュアンス)
という言葉で、
すべてが腑に落ちたのです。
私はまさにその瞬間から
自信を持って「今」を
生きられるようになりました。
心の底から感謝しています。
なんか毎日辛い・・・
息苦しいな・・・
と感じていたら、
一度エックハルトトールさんの
世界に触れてみてはどうでしょう。
私は生き方が変わりました。
当時見た映像は何だったのかは
正直覚えていないのですが、
恐らくどの映像を見ても、
トールさんが伝えたい事は
分かると思います。
以下にリンクを載せておきます。
DVDと本です。
最後に
この記事を読んでくれたあなたには、
エックハルト・トールさんの
「今しかない」という事と、
どれだけ人の役に立ちたい!
と思ったり、役立ったとしても、
最後には「自分がすごい!」
「自分には価値がある!」
という所に気持ちを落とし込むと
自信がついて、気持ちが楽になる
という事を覚えていって
欲しいと思っています。
強制するわけでも
なんでもないですが、
こんな風に思えば
気持ちが楽になる人がいるよ!
という事を知ってもらえれば
幸いです。
あなたの明日が
気持ちの良いものに
なりますようにヽ(*´∀`)ノ